民主主義を考える
現代文明総論Aを通して近代化に触れ,前回はその進歩が必然なのかということについて考えた.
今回は,その西洋文明に始まり,私たち日本人にも深く関わりがあるであろう「民主主義」について考えてみたいと思う.
まず,民主主義と聞いて思い浮かべることはなにであろうか.
多数決?国会?大正デモクラシー?
民主主義という言葉自体が非常に浸透していることは周知の通りである.ただ,民主主義について改めて考えたことのある人は多くないのではなかろうか.
昨今,民主主義に関してとやかく言われることが多くあると思うが,歴史的にみて民主主義は大きな失敗を二つほどしている.
一つが,フランス革命後のロベスピエールによる恐怖政治,もう一つがナチス・ドイツによる独裁政治である.
前者の失敗の原因は民主主義の解釈の誤解にある.
そもそも民主主義というのはホッブズとルソーによって基礎づけられた.
そこには,二種類の民主主義があり,「根源的民主主義」と呼ばれる社会の構成員になる合意をしたというルールとしての民主主義.
そして,「政治的民主主義」と呼ばれる,議会での討議と多数決によって統治するというやり方としての民主主義である.
両者の実現しようとするものが明らかに異なるにも関わらず混同してしまったことにより結果的に恐怖政治を招いてしまった.
一方,ナチス・ドイツの場合は第一次世界大戦後の賠償や世界恐慌といった非常事態にカール・シュミットが「例外状況においては,通常の行政・憲法は停止され るべきである.憲法を停止したとき初めて政治の姿が見えてくる.」「議会は常に行き詰る.重要な事案の決定には独裁的な要素が必要である.」と提唱したこ とに端を発する.これにより,アドルフ・ヒトラーによる(委任)独裁というかたちが生まれてしまった.
これは,民主主義が非常事態に行き詰ってしまうということを欠陥として明らかにされた事例である.
政治的民主主義が行き詰まったとき,どうすればいいか.
そもそも民主主義という考え方でいいのか.
もう一度考えてみてほしい.
最後にウィンストン・チャーチルの下院演説 (November 11, 1947)での言葉で締めくくりたいと思う.
これまでも多くの政治体制が試みられてきたし、またこれからも過ちと悲哀にみちたこの世界中で試みられていくだろう。民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ない。実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが。
(清水)