Xmajor夏休みブログ① 「線を消し続けること」
こんにちは!Xmajorスタッフの児玉です。
今回から数回ほどは、普段の活動紹介ではなく、メンバーが夏休みに経験したこと、考えたことを随時アップしていきます!
個性的な(変わってる?)Xmajorメンバーが普段何を考えているのか、少しでも興味を持っていただけると嬉しいです。
と、いうことで!
わたしも自分の夏休みを振り返ってみました。
そこで、ある映画を見て考えたことを、今から自分なりに書き綴ってみたいと思います。
みなさんは「ライフ・イズ・ビューティフル」という映画をご存知でしょうか?
アカデミー賞にもノミネートされた作品なので、見たことある方も、多いかもしれません。
映画の舞台はイタリア。主人公グイドは、小学校教師のドーラと恋に落ち、ふたりの間には最愛の息子ジョズエが生まれます。
しかし、時代は第二次世界大戦下へ。ジョズエの5歳の誕生日に、ユダヤ系であった彼らは、強制収容所へ連れて行かれることになります。
小さなジョズエを怯えさせまいと、グイドは、ある楽しいウソを必死でつき続けることにしました…。
この映画を見終わったときわたしが思ったのは、
「自分がこれから生きてく時間は、なんて長いんだろう。」
ということでした。
もしわたしが日本人の平均寿命くらい生きるなら、あと60年。
祖父母が戦争を経験していること。小学生のときのイラク戦争開戦。昨今の東アジアの緊張状態…。
これまで自分が生きてきた「これっぽっちの人生」さえ、実は綱渡りのようで。
そう思うと、今まで生きてきた年数の三倍の時間を平穏無事に過ごすことが、ひどく困難に思えました。
自分の大事な人たちを「なぜこんなことで」と思う形で失くしたくない
けれども暗い気持ちになる前に、なぜこんなことが起こるのかを、わたしたちは考え続ける必要があると思います。
人が殺しあえるのは、殺しあってしまうのは、なぜなのか。
哲学の授業で、人は人を殺せない、という話がありました。
いじめる側は、相手を同じ人間ではなく菌や虫と見なすことで、良心の呵責を免れる。このように、戦争だけでなく世の中にある差別や無関心は、何かの間に線を引くことによって成り立っていると思います。
人がなにかしら線引きをすること自体はどうしようもない事かもしれません。なぜなら世界はあまりに大きく、ある程度境界線や枠組みを決めなければ、眺めようがないので…。
重要なのは、自分が線引きしていることを意識すること、そして自らが引いていく線を常に消し続ける努力をする事なのだと思います。
フランス人とスペイン人との間に引かれた線は、ヨーロッパ人というくくりの中で消えていきます。ヨーロッパ人とアジア人という線は、人類というくくりのなかで消えていきます。人類と他の動物との境界線は、生物というくくりで消えていきます。
そして、ある線を消すためには、「知る」という作業がわたしはすごく重要な気がしています。
さらに、それには学問がとても有用なんじゃないか、と。
なぜなら学問は、人ひとりが一生の間に経験して知る以上のものを、長い年月と多くの人の努力によって蓄積したものだからです。
科学の世界から見る線引き、芸術の世界から見る線引き、哲学の世界から見る線引き。
どの線引きが正しいかではなく、あらゆる線引きを知ることで、全ての境界を互いに消していくことができたら。
それができれば、何かを区別することで成り立つ悲惨な出来事は、今より少なくなるのではないか。
物事はそんなに単純ではないとしても…。
そうだとすると、学問する中でも特に、異分野横断・多分野融合を意識することは、とても重要になってくる気がします。
理系文系、主流傍流、実用的か否かということ自体も線引きであることを考えると、学問自体も自ら引いた線を消していく作業が必要なのかもしれない…。
と、個人的に改めて感じた夏休みでした。
最後に…
稚拙な文章に最後までお付き合いくださり、ありがとうございました…!
次のXmajor夏休みブログ担当は、中村さん!
中村さんはこの夏休み、何に出会い、何を考えたのでしょうか?
また後期は、Xstudyというプログラムを実施します。
みなさまとぜひお会いできることを楽しみにしています!