Xmajor blog

Xmajor の活動の記録や,メンバーが考えていること,メンバーの素顔(?)などを綴っていきます!

What is "Active Learning" ?

先日,『ハーバード白熱日本史教室』で話題の北川智子さんが京都いらした際の特別講演会に参加してきました.そこで北川先生がハーバードで実際にされていた講義の体験をすることができました.いわく,"Active Learning".
 
詳しくは本を読んでいただきたいのですが,特に感じたことは,自ら「課題設定」することの重要性.つまり,学びのスタートを自らの頭で始めることが大事だということ.
 
 
言ってしまえば「そうだろうな」と誰もが思うと思うのですが,これを実践するのは今の日本の教育の枠組みではホントに難しいと感じます.例えば,大学でそのようなことを実践するとしても,現行の中等教育を受けてきた学生は戸惑うでしょう.「課題?」「何から手をつけたらいいんだろう?」仮に上手くスタートを切れたとしても,「アレもコレも勉強しないと」「何が"正解"なんだろう?」となってしまうことが想像できます.今まで画一的評価に慣れっこになっている教員たちも困ってしまうでしょう.
 
 
 
 
これに関係して,先日茂木健一郎さんが twitter で以下のような連続ツイートをされていました.少し長いですが,全文引用させていただきます.
 
 
-------- 引用はじめ ---------
べい(1)波頭亮さん(@ryohatoh)がよく指摘されるように、日本人は大学に行くと余り勉強しなくなる。一方で、アメリカのアイビーリーグの大学生は、猛勉強をしている。何でも卒業までに何百冊も専門書を読むということで、この間の切磋琢磨が、資質の差につながってしまっている。
 
べい(2)なぜ、日本の学生は、大学入試まで必死に勉強するのに、大学がレジャーランドと化しているのか。いろいろな説明があり得るが、一つの論点は、「勉強」の「内容」および「スタイル」に関わることだと思う。一体、「勉強」という言葉で、どのような活動を想定するか? そこに根本がある。
 
べい(3)日本人の「勉強」のイメージは、このようなものだろう。試験期日が決まっている。そのために、出題範囲を「勉強」する。年号を暗記したり、問題を解いたりする。このような日本的「勉強」のイメージが強すぎることが、大学に入ってからの勉強時間の伸び悩みにつながっている。
 
べい(4)試験のために、出題範囲を「勉強」する。このようなスタイルの「勉強」は、オープンエンドでもないし、持続可能でもない。何よりも、モチベーションが維持しにくい。試験の点数自体には、二次的な報酬としての意味しか無い。そこには、意義も、広がりも、つながりもない。
 
べい(5)視点を変えて、勉強を、「プロジェクト」と見てみる。例えば、今問題になっている「竹島」の領有権を巡って、原稿用紙100枚のエッセイを書くことを考える。すると、調べることが無限にある。日韓の歴史だけでなく、領土をめぐる国際法規、戦後処理、アメリカの見解など、興味が広がる。
 
べい(6)あるいは、アインシュタイン一般相対性理論における、ブラックホールの意味についてのレビューを書くことを考える。すると、そのために必要なテンソル解析、リーマン幾何学といった数学や、関連論文、シュヴァルツシルトの生涯など、調べるべきことがたくさん出てくる。
 
べい(7)「勉強」というものを、試験のための準備ととらえるのではなく、一つのテーマを巡る「プロジェクト」として見た場合、大抵の場合やることがたくさん出てきて、いくら時間があっても足りないことになる。大学生がエネルギーを注ぐべき「勉強」のイメージとは、本来このようなものだろう。
 
べい(8)日本人の「勉強」時間が、なぜ大学に入ると伸び悩むのか。それ以前からの、「勉強」のイメージが間違っているからだと断ずる。プロジェクト・ベースの「勉強」は、より社会人になってからの仕事に近い。そして、プロジェクトのテーマは多様であり、容易に比較などできない。
 

べい(9)日本人の大好きな「偏差値」は、ペーパーテストとそれに向けた勉強という、チマチマした世界だけで成立する。プロジェクト・ベースの勉強に切り替えた瞬間、課題は無限となり、喜びは深く、そして自分の個性が輝く。日本人は勉強が嫌いなのではない。勉強のイメージが間違っているのだ。

-------- 引用おわり --------
 
 
いかがでしょうか.今すぐ実現可能かはさておき,このような学習法が単なる暗記型の学習よりも得るものが大きいし,いわゆる「勉強だけ」の頭でっかちなものでもない,ということについてはみなさん同意できると思います.ただ,これを忠実に実行しようとすると,現状と比べると恐ろしく大変では?と思ってしまいます.
 
  
 
冒頭の話に戻ると,北川先生はこのようなハードルを「体験」型の学習と,友達との「グループワーク」によって巧みに下げていると感じます.ただ机に向かうのではない,友達と集まって「話し合い」ながら,何かを「作る」ことを目指すことで,「学ぶ楽しさ」を付加している.
 
北川先生の担当されていた有名な講義はあくまで「教養:Liberal Arts」としての講義です.専門家を養成するためのものではありません.専門家を目指すのであれば,やはり膨大な知識を詰め込むこともとても大事です.しかし,多くの学生が今日,中等教育,そして高等教育の「教養」課程で学ぶべきは,自らの頭で何を,どう学ぶのかを考え,そしてその結果としてアウトプットを作っていくことではないでしょうか.つまりその形として, "Active Learning",その手段として「プロジェクト型」の勉強が有効だと思うのです.これからの教養教育が目指すべきは,このような姿ではないでしょうか.そして現状からのアプローチとしては,「ハードル」を下げることも考えなければならない.
 
 
 
 
 
なんだかとてもいいものに聞こえはするが,しかし,私たち一般の日本の学生にとっては,遠いものと感じるものになっている.でも,徐々に必要とされてきているのは事実.
最近 Xmajor が準備している Xstudy は,ここにインパクトを与えられるかもしれません.
 
 
と書くと,すべてを見越してやってます,風な言い方になるのですが,そんなことはありません.笑
私たちも試行錯誤しながら Xstudy を作っていこうとしているのです.もしかするとかなりの Active learning かもしれません ^^;
 
Xstudy については何?という方もいらっしゃると思います.ホームページもありますので,興味のある方は是非御覧ください.twitterfacebook もやってますので気軽にコメントいただけると嬉しいです!    
 
                                                                                                                     (T.IKARI)